第26回 スキー・フォー・ライト インターナショナル

日本からの参加者の感想

last updated: 2004.3.1


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2001年 Ski For Light International に参加して

岩本 謙司 (スキーヤー・共同作業所利用者)

■1. グリーンベイ■

新世紀初の Ski For Light International は、ウィスコンシン州グリーンベイで開催された。事前の情報で現地の気温はマイナス五から十度、経験したことのない寒さである。しかし、実際に行ってみると思っていたほどではない。一週間を通じて天候は概ね良好、時折ふぶくこともあったが、晴れ上がるとこれはもう素晴らしいの一言である。澄んだ大気といい、炎のような陽光といい、体感するグリーンベイの自然の全てに柄でもなく感動してしまった。パラダイスだった。

今年一月の裏磐梯 SFL-J 2001 ではブーツの紐が凍ったことが記憶に新しい。が、今回緯度でははるかに北方に位置する当地ではそれもなく、毎朝発表されるその日の気温も決して温かいと言える数値ではないのだが、寒さですごしにくいということは全然ない。要するにここグリーンベイで、我々日本からの三人の参加者たちはこの上なく快適で楽しいスキーウィークを満喫することができたのである。

■2. 心に残る交流■

アメリカを訪れた人の多くが言うことの一つに、アメリカ人のつきあう上での気持ちのよさがあるだろう。これは現実に体験してみないとわからないことなのかもしれない。今回同室だったマイクさんというアメリカ人もまた、底抜けに明るい弱視のおじさんであった。年が二十六も離れているのに、まるで兄貴のようにいろいろと世話をやいてくれる。バランスのとれた教養とユーモアのセンスとを持ち、人とコミュニケーションをすることが心から楽しいようだった。それにネクタイの結び方もとてもうまい。

ところでご存知の通り、この SFL International には、過去にも多く日本からの参加者があり、様々な人たちから彼らの逸話などもいろいろと聞くことができた。またアメリカ人をはじめ参加者たちの多くは概して日本についてよく知っており、関心も持ってくれているらしい。中には奥さんが日本人という人、息子さんがトヨタで働いているという人、どこで覚えたのかおもしろい日本語の成句を会う度に連発するような人もいたりした。実に愉快な人々である。

彼らのコミュニケーションは日本人のそれに比べて非常にシンプルであり、なおかつ洗練されているという印象を受けるのだ。もちろん英語が十分に理解できたというわけではないが、それでも周りの人たちを見ていて気持ちがいい。自分もあれほどに上手なコミュニケーションがとれたらどんなにかすばらしいだろうと思わせるほどの魅力があった。

今回米国及びノルウェイを中心に少なくとも二百五十名以上の参加者があったが、各人の持つ身体的コンディションもまた様々である。盲聾の人や車椅子の人、盲導犬を連れた人などなど、日本でも見られない光景ではないのだが、彼らの持つ社会性にはこれからも多く学ぶところがありそうだ。

■3. アメリカ先住民の神話■

SFL International では、スキー以外にも様々なセッションが用意されている。SFL の魅力の半分がそれである。

ウィスコンシンと言えば、まず大草原の小さな家を連想する。にも関わらず、ここがアメリカ先住民族との特に深い関わりを持つ場所であるということをすっかり忘れていた。宿泊したホテルの部屋にもタスカロラとか、モーハクとかカユガとかあまり聞き慣れない名前がついており、マイクに質問してみて初めてそのことに気がついた。月曜日のディナーの後に先住民の人が語りを演じてくれたのであるが、この夜が今度の旅で最も心に残るものとなった。彼の口から、かねてよりあこがれていた神話学の世界的な権威である故ジョーゼフ・キャンベル教授の名が出た時、正直言って自らの幸運に内心で驚喜したものである。全くの偶然とはいえ、ここでアメリカ先住民の神話を直接聞くすばらしい機会を得た幸運を心から感謝した。

この夜は二つのストーリーが演じられた。神話はそもそもが非常にトリッキーなので、仮に英語が理解できたとしてもたぶん内容を把握することは困難だったろう。それは負け惜しみとしても、自分の英語力の無さを最も悔しく感じたのはこの時だった。

■4. 役に立たない英語■

前述の通り、今回は言葉というものの難しさそれに必要性を改めて痛感させられる旅だった。英語力がないために最も貴重な情報を得ることができず、また会話力がないために彼らの親切なもてなしにも満足に応えることができなかった。

特に、まだ英語耳ができていない。ある時、佐藤さんが「今、日本にハガキを出してきたんだけど、七十七セントだった」と言う。はてな、やけに半端な額だなと思いつつ後日自分もホテルのフロントデスクに行き四枚のハガキを日本に出した。「二ドル八十七」と言われてその通り支払うと、「これおつりだよ」と七セントを渡される。後でよくよく考えてみると、どうやら二人とも『セント』を『セブン』と聞き違えていたものらしい。

今回はもう一人の日本からの参加者、青柳さんの聞きしに優る抜群の英語力のおかげで急場をしのぐことができたものの、もちろんこれは本来そうあってはならないことである。事前の準備としてその国の文化の登竜門である言葉をある程度できるようにしておくことが、海外旅行における最低限のエチケットであろう。怠慢を反省し、ここに改めて青柳さんへの謝意を表したい。

■5. クロスカントリー■

スキーについてこれまであまり触れてこなかったが、佐藤さんという最高のパーソナルトレーナーを得て、自身でも満足できるようないいスキーができた気がする。もちろんまだずぶの素人であることに変わりはない。しかし、毎日滑っているうちに確実に板に乗れるようになり、何となく滑っているという実感をもてるようになってきた。また、スキーについての基礎的な知識や技術も教えてもらい、本当にラッキーだった。

コースは五キロと十キロのサーキット、最初の二日間は五キロに、残りは全て十キロを滑った。コース途中には動物の足跡や倒木...、それもまるで何かのものすごい力で上から根っこごとひっこぬかれたような代物が転がっているのだ。また、しばしば狼の遠吠えのようなものがどこからともなく聞こえてくる。近くに動物園があり、そこの動物たちだろうということだが、はたして本当にそうなのか...。いやそれは冗談だが、この動物園にはスノーシューをはいてちょっと行ってみることにした。おりの中に鹿の一群を見つけたが、佐藤さんを警戒してか、なかなかこちらには寄って来てくれない。

■6. クレージーアメリカンツアー■

金曜日のスキーは、いつもとちょっと趣向が違っていた。クレージーアメリカンツアーと銘打ち、まるで仮装パーティーのように各々が思い思いの扮装でゲレンデに出ていった。動物の格好をしている人やら奇妙なコスチュームの人、がちがちの紳士だと思っていた人までが頭にチョウチンアンコウのチョウチンみたいなものをぶら下げているのを見て、ああこれがアメリカ人なのだなと改めて彼らに親近感を覚えた。

帰りのバスを待っている時だった。あるおばさんが手をとって触ってみろと言うので、またもやわけのわからないものを触らされるのかと思いながらそれを触った。固い丸いものだが、何だかよくわからない。もっとよく触って確かめてみようともんだり撫で回したりしたが、結局わからず不思議そうな顔をしていた。

ところが、とんでもないことがわかった。それはそのおばさんの胸だったのだ。中に何かパッドのようなものを入れていたらしく、それを触らせていたのだ。となりに立っていた佐藤さん、どうしてどうして止めてくれなかったのだろう!

あの時、手つきが何となくいやらしかったのじゃないか、顔がにやけていたのではないかと、今でも気になってしかたない。誤解のないように言っておきたいが、本当に知らなかったのだ。信じてくれる人はどれほどあるだろうか。(^^;)

■7. レース■

さて、このようにして迎えた最終日、この日はレースである。申告タイムレースと普通のレース、どちらへ参加するかだいぶ迷ったが、結局十キロの普通レースに挑戦してみようということになった。結果としてこの判断がよかった。前日に降った雪でコースコンディションは上々、初級者向けの非常に滑り易いものとなってくれた。

百七番という後方からのスタート、途中何組かを抜いて行き、これはいい感じだぞと思いながらゴールしてみると、タイムはどういうわけか一時間三十二分、当初二時間半もかかったことを思えばこれは信じられない好成績である。大歓声のゴールの瞬間、誰かが "Kenji!" と叫ぶのが聴こえたような気がする。メダルをかけてもらい、アルさんというとてつもなくでかい人が腕をとってくれた。本当にうれしかった。

なお、この日の青柳さんチームのタイムは一時間二十七分で堂々入賞、途中ガイドの交代に伴うロスタイムを考えると、これまた見事な結果である。

■8. タレントショー■

そうそう青柳さんと言えば、彼女は素晴らしい歌い手でもあることをご存じだろうか。木曜の夜に行われたタレントショーでは、何人かの参加者がその才能を披露してくれたのだが、その中でも青柳さんの歌は絶品と言っていい。

普段の自信に満ちた雰囲気、背筋をぴんとのばして秀才然として、いかにも優等生といった感じの彼女なのであるのだが、いやだからこそこんなタレントがあろうなどとはおよそ想像だにしえない。歌を聴いてみて初めて真の美声の持ち主であることに気づかされた。そして観衆のあの拍手の大きさもそのことを証明していた。

この他にも全ては書けない、とても楽しいショーをいくつも見せてもらい思い出としてそのイメージは心にはっきりと残っている。アメリカに行って本当によかったと感じた時だった。

■9. 味噌汁が食えない■

ところで、ここでちょっとアメリカの食事について触れておきたい。ラディソンというアメリカの典型的な中流ホテルの料理だが、これが実にうまいのである。おせじなどではない。もしアメリカ人が普段からこのようなものを食っているとしたら、彼らは日本で吹聴されているような味覚音痴などでは決してないだろう。もちろん、それを評価した側の味覚は本当に信頼できるのかと言われれば必ずしも自信があるわけではないが、ともかくも毎日おいしすぎるとも言うべき料理の数々が並べられ、そのおかげがあってこそ体調もよく精神的にも充実した日々をおくることができたのだろうと思う。まさしく、"I eat therefore I am." である。

ところが、味覚というものは変化するものなのだろうか。帰国すると今度は和食が食えなくなってしまったのである。ちょっと信じられないことに聞こえるかもしれないが、中でも味噌汁が食えない。全く食せないのである。まるで海水を温めたような磯くさいあのスープ、海草がぷかぷか浮いていて何とも気持ちが悪い。ぶよぶよした豆腐といい、塩分たっぷりの汁といい、これが人間の食い物とはとても思えず、最初のうちは本当にほとんど口にすることができなかった。もちろん今では舌も元に戻り、味噌汁も全て飲み干すことができるが。

この原因は何なのだろうか。ゲレンデのロッジで出されたランチボックスも、何というか食いごたえがある。これが本来の食い物の味だと感じる。果物もうまい。食材の違いだろうか。この辺は未だに謎である。

■10. サイレントオークション■

今回のアメリカ旅行で、日本からいくつかの品をおみやげを兼ねて持って行った。青松先生のアドバイスで『マスコットブレール』という手動の小型ピンディスプレイ機能を持つキーホルダーを二つ、それに煎餅二袋、あとこれは自分用にだがリプトン紅茶のティーバッグ一箱である。

ところで、SFL International でも財政は決して楽ではないらしい。サイレントオークションなるものが連日開かれていた。参加者が自分の品を持ち寄り、それがオークション会場に一週間展示され、欲しい人はノートに名前と希望金額を記帳していくというシステムである。そして、ここでの売上が SFL International の運営資金の一部となるわけだ。

はじめ同室になる人にプレゼントするつもりだったマスコットブレールが、マイクが弱視であったために残ってしまい、それならばというわけで、これをサイレントオークションに出展してみようかということになった。佐藤さんと相談してはじめはそれぞれ三ドルでいくことにした。ところが、値は日々上昇傾向を強め、あれよあれよという間にオークション最終日にはとうとう二つ合わせて五十五ドルにもなってしまった。ちなみにマスコットブレールは日本点字図書館で六百円で売られているので、最近のレートで換算すると5.5倍の値がついたことになる。競り落としたのはジュディー・ディクソンさんという SFL International のスタッフの方だった。

また、二袋あった煎餅のうち一つは、そのジュディーさんにお世話になっているお礼としてプレゼントした。しかし、さて英語でこれを何と言うのか、定訳があるはずなのだが出てこない。仕方がないので、"Japanese rice wafer" とか何とか口から出任せに適当に言ったと思う。するとジュディーが不安げに「私これ食べられるの?」という意味のことを聞いてきたので、「ええ、もちろんですよ」と言っておいたのだが、待てよ、はたしてどう伝わっていたのだろうか。

ついでながら、もう一つの煎餅はニューイングランドパーティーという小さなパーティーのおやつとなった。ここで佐藤さんが折り紙の実技講習をしたのだが、これがなかなか盛況であった。

最後に残ったリプトン紅茶の運命だが、これはちょっと失敗だったかもしれない。うまい紅茶が飲めなかったらどうしようという、海外旅行の経験の浅い者らしい考えで持ち込んだものだが、いかんせん当地の水が合わない。ホテルの部屋に備え付けのコーヒーメーカーで湯をわかして入れてみたが、これはもう飲めたものではなかった。

部屋には最初コーヒーの粉しか用意されていなかったが、このリプトン君のティーバッグのゴミがあるのを見てハウスキーパーのおばちゃんが気をつかってくれたものらしい、次の日からは必ずアメリカの紅茶のティーバッグが二つずつ用意されるようになった。

■11. 宝の持ち腐れ■

技術的な面から見た今度の反省点をいくつか挙げてみることにする。

まずその第一はパソコンを持って行かなかったことだ。実はぎりぎりまで準備はしていたのだが、様々な理由から断念せざるを得なかった。海外においてもインターネットへのアクセスを確保しておくことと英語の辞書を持っていくことの必要性は十分認識していたのだが、大型のラップトップしかなかったこと、必要なパーツが揃わなかったことなどから今回はあきらめた。ちなみに青柳さんは小型のノートを使っていたようだが、おそらくこれが正解なのだろうと思う。

第二に、音声出力機能のある英英辞書(名前を忘れるほど使っていない)を活用できなかったことである。これは携帯性に優れた視覚障害者用の音声と拡大表示機能を持つアメリカ製の英英辞書であるが、これが使えればかなり違ってくるのではないかと思う。もちろん音声は英語(それほど品質はよくない)だが、日本語を扱うものが未だ存在しないことを思えば、これに慣れるのも一つの手ではないだろうか。

第三には、やはり何と言っても英語そのものの学習である。十二日間で英語耳を作るという某メーカーのトレーニングセットを購入して試してみた。これは、聴いているだけで自然と英語を聞き取れるようになるという奇跡のアイテムで、これで英会話も完璧にできるようになる、はずであった。しかし、十日ほどやってみたがちっともそのような徴候は現れず、もしかしたらあと二日やれば何か劇的な変化があったのかもしれないが、単に時間の無駄だったのではないかという気がしないでもない。そもそもこのようなものに頼らず、時間はあったのだからきちんと勉強すべきであったのだろうと気がついた点はよかったと思うことにした。

■12. 将来に向けて■

帰国後、マイクからメールが届いた。来年コロラドでの SFL International 2002 に参加するつもりでいるらしく、こちらの様子を聞いてきている。しかし、今まだ生活が安定していないこともあり、またこのお粗末な英会話力ではとうてい一年後にコロラドへ行けるとも思えない。

それにしても、人によって海外旅行の印象は様々である。今回アメリカに行き、旅行の最中には無我夢中でそれほど感じなかったが、今このような報告書を書きながら当時のことを思い起こすと、じわりじわりとあの時の出来事がなつかしく思えてくる。うまく表現できないが、腹の中から沸き上がるような感動がある。

だから、私はもう一度 Ski For Light International に参加するためにアメリカへ行ってみたい。そして、必ずいつかはまたマイクやみんなに会いに行くのだ。


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