last updated: 2004.3.1
"What do you like about Ridderrennet?" "Everything!!"
夕食のテーブルで同席したノルウェーのご婦人達との会話です。内部障害と視覚障害の50代くらいの女性で、二人とも20回以上参加されているとのことでした。
"Everything" 私は、Ridderrennetでの1週間が終わる頃、この言葉の意味することがよくわかるようになっていました。
はじめに Ridderrennet の概要をまとめてみたいと思います。
2000年3月26日(日)から4月2日(日)の1週間の日程で、ノルウェーのBeitostolen (バイトストーレン)で行われました。ノルディックスキーの本場、北欧をはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、さらにはイラク、ケニアまで20カ国からの視覚障害、肢体不自由、内部障害、聴覚障害などをもつスキーヤー約400名、ガイドとしてノルウェーの体育大学、理学療法専門学校などの学生、サポート役のノルウェーの軍隊などが参加しての大きなプログラムです。
Ridderrennetが開催されるバイトストーレンは、オスロからバスで4時間ほどのところにあります。なだらかな斜面のこじんまりとしたゲレンデがあり、スーパーマーケットが1軒、おみやげ屋が1軒、スポーツ用品店が2軒、レストラン、バーが数軒といった小さなスキーリゾートです。
Beitoホテルという大きなホテルが本部となり、イベントは全てここで行われます。
このホテルに宿泊する人もいますし、近隣のホテルに宿泊している人もいます。サポート役の軍人さん達は、ホテルの裏に建てられたテントのなかで寝泊まりしていました。ご苦労様です。
トレーニングやレースへの参加はもちろんのこと、アフタースキーのイベントへの参加も自由。食事の時間も余裕があります。アクティブに過ごしたい人にものんびり過ごしたい人にも対応できます。
スキーコースはホテルから車で5分くらいのところにあり、軍人さんが運転するバスや普通車が何台も、常時往復しており、行きたい時に行け、帰りたい時に帰って来られます。コースはカーブの多い日本のものとは違い、広い平原の中をゆるやかに続きます。標識もわかりやすく、途中にコーヒーやレモネードが飲めるサービスもあります。
コース入り口に、バイトストーレン・ヘルススポーツセンターがあります。この施設はRidderrennetの創始者である全盲のErling Stordahlが建てたものです。ここでは障害をもった人が、4週間ほど滞在し、医師やスポーツインストラクター、理学療法士の指導の元、水泳、ダンス、スキー、クライミング、乗馬、カヌー、犬ぞりなど様々なスポーツに挑戦できます。ここでの体験を生かして、地域に戻りスポーツを続ける人や社会復帰や社会参加につなげていく人もいるようです。
スキー板は原則として、自分のものを持参することになっていますが、ホテルの近くのレンタルショップで破格の値段で借りることもできます。ホテルとコースの入り口にサービスマンがいて、面倒なワックス(グリップワックスのみですが)を塗ってくれるので助かります。
私が、Ridderrennetに参加したいと思ったのは、障害者スポーツに関心を持っていたことと、小学生の頃から大学までクロスカントリースキー競技を続けていたのに、本場ノルウェーに行ったことがなく、一度行ってみたいと思っていたからです。1月に初めてスキー・フォー・ライト・ジャパン(以後、SFL-J)に参加して、このRidderrennetのことを知りました。SFL-Jに参加した時に、私は「クロスカントリースキーを楽しいと思ったことはない」と言いました。しかしSFL-Jを通して、自然の中で体を動かすことの楽しさ、仲間と一つのことをやり通した後の爽快感などを思い出しました。小さな頃は、雪が好きでスキーが好きで、楽しくてたまらなかったはずなのに、長い競技生活の中で忘れていたのでしょうね。そんな時に、Ridderrennetのことを知ったのですから、もう行くしかない! という感じでした。
Ridderrennetではいろいろな人と出会いました。
最初に仲良くなったのが、カナダからの参加者Liliaおばあちゃん78歳(強度の弱視)。最終日のRidderrennetレースでは、青松さんもその長さに参加をやめた20kmに挑戦し、見事ゴールしていました。とにかく元気なおばあちゃんでした。
帰りのバスの中まで、わざわざ見送りにきてくれたノルウェーのKariさん(弱視、難聴)。トレーニング後、部屋に招いてもらい話をしました。「一緒に写真を撮ろう」と誘ったら、「夜、ドレスアップしてから」と言っていたことを覚えています。
私たちに素晴らしいショーを見せてくれたUnited World College(ノルウェーのインターナショナルスクール)の生徒、こうた君。彼を含む生徒達が見せてくれた歌やダンス、劇などは、とても素人とは思えないくらいに上手でした。彼らはガイドとして参加したのではなく、ホテル内での誘導やバイキングスタイルの食事のサポートをしてくれました。
うれしかったのは、長野パラリンピックでその滑りを目にしてから憧れていた Myklebust 選手(シットスキーの女王)と一緒に写真が撮れたこと。現在は第一線を退いていますが、その滑りは衰えていませんでした。
他にもたくさんの人と仲良くなりました。私たちにノルウェー語を訳してくれた、創始者の友人だったというご夫婦、いつも声をかけてくれた若いノルウェー人女性、スキーを全くせずにのんびりと過ごしていたアメリカ人の老夫婦。次に行った時にもまた会いたいと思います。SFL-J を「一年に一度集まる、親戚みたいなもの」とおっしゃった方がいましたが、このRidderrennetも規模こそ違えど、そのようなものだと思いました。
今回は、日本から一緒に参加したプレジデント、青松さんとペアを組みました。
初日、滑らないスキーをはいた私は、そのことばかりが気になって、指示が少なくなってしまいました。次の日に板を変えてからは、滑るようになりましたが、今度は自分が楽しみすぎて、またもや指示がおろそかになってしまいました。後で青松さんに聞いたところ、「実はちょっと怖かった」とのことでした。ごめんなさい。ついでに凍った道で転ばせてしまった時に、落としたカメラのことを先に心配してしまい、ごめんなさい。この場をお借りして謝らせていただきます。
青松さんはあまり勝ち負けにはこだわらないようでしたが、私の方はいざレースが始まると、負けず嫌いが頭をもたげ、疲れている彼のお尻を叩いてしまいました。結果、そのクラスで、バイアスロンでは2位、10kmでは優勝することができました。久しぶりにレースのわくわく、ドキドキを味わえてとても楽しかったのですが、青松さんとしては、いい迷惑だったかもしれません。
青松さんが、一番楽しそうだったのは、ピクニックでのハンバーガーとホットドッグを食べている時でした。よっぽど気に入ったのでしょう。次の日、またハンバーガー屋さんがいたので、「また食べられる」と喜んでいたのですが、その日は、有料。財布を忘れた青松さんは、本当に悔しそうでした。今度は、ちゃんと持っていきましょう。
Ridderrennetは本当に素晴らしいプログラムだと思いました。世界のトップ選手からスキーを始めて間もないスキーヤーが、同じコースでトレーニングし、同じレースに参加することができるのです。また、スキーはもちろん、それ以外でも、障害のある人、ない人、若い人、年輩の人が一緒に楽しめるということが、何よりも気に入りました。ディスコで、白杖を持った方も車椅子の方も歩行器の方も、若い女の子も軍人さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな一緒に手をつないで踊っている姿を見て、私は「なんて、生き生きしているんだろう」と感動し、その場をなかなか離れられずにいました。
それぞれの人が自分のペースで、自分の楽しみを見つけられるRidderrennetに、ぜひ多くの人に参加してもらいたいと思います。私の文章では、その楽しさの10分の1も、100分の1も伝わらないと思うので、実際に体験してもらいたいです。