第5回 スキー・フォー・ライト ジャパン

参加者の特別寄稿 (コメディ エッセイ)

last updated: 2004.3.1


目次 (Contents)

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完全燃焼っ!!
クロス・カントリー・スキー

工藤 滋 (スキーヤー・教員)

【登場人物】

SK: 工藤 滋
OF先生: 船越 修
スタッフのTSさん: 椎野智子
SFさん: 福留史朗
YO先生: 小野陽二
MKさん: 金本麻理子
TA君: 青木隆明
KU君: 宇野和博
IEさん: 井口英子
YKさん: 児島有里子
プレジデントのTA君: 青松利明

1月4日(火)

 「ピピッ、ピピッ 5時30分です。」
 ぼくの枕元で電子音がささやいていた。いつも何かの行事がある時には、あるいはどこかに旅行に出る時には、決まって目覚まし時計よりも早起きをして優越感に浸るのが常なのに、今朝は意外にもアラームに負けていた。大晦日からの2泊3日の安比スキー・ツアーの疲れがここへきて現れたのか、はたまた単に緊張感がないだけなのかは分からないが、いずれにしても夕べから今朝にかけて爆睡できたことだけは確かだった。
 外は大粒の霧雨。実に珍しい天候である。三が日が明けたばかりのこの時期に雨が降るということ自体も珍しいのだが、霧雨と言えば細かいからこそ霧雨なのであって、大粒であるにも関わらず霧雨というのは実に珍しい。しかし、視界が煙っているのだから、やはりこれは霧雨と定義するよりしかたがないのである。
 いつも旅行前は準備万端のはずなのだが、今回ばかりは忘れ物が多かった。朝になっても、
 「ああ! あれ忘れるとこだった!!」
 「そう言えば、これも入れとかなきゃ!!」
 トーストをコーヒーで流し込みながらも、心は忘れ物のことでいっぱいだった。
 時計は容赦なく時を刻み続け、洗面所を出た時には6時28分。もう一刻の猶予もならない時刻になっていた。
 (よし! 行くか!!)
 気合いを入れて玄関に行くと、
 「ありゃ? 帽子忘れた!」
 慌てて2階に戻って再び玄関へ。
 「ん? なんか変だなあ。ゲゲッ、白杖忘れてたあ!!」
 いくら何かを忘れると言っても、白杖忘れてどうすんだ?

 盛岡駅に到着して新幹線に乗り込むと、そんな激しい朝の光景はどこへやら、すっかり穏やかな気分になれた。岩手を抜けて宮城県に入ると天気はビックリするほどの大快晴になっており、いつしかぼくは暖かな陽射しを浴びてスイースイーと銀世界を滑走する自分の姿を空想していた。そしてそれと同時に久しぶりに思う存分力いっぱいの汗をかけるという幸せに自然と心も高揚していった。今日は福島県の裏磐梯で開かれるクロス・カントリー・スキーの合宿に出かける日だったのである。

 SFL-J (Ski for Light Japan) と呼ばれるこの企画は、視覚障害者とフィフティーフィフティーの立場で経験を共有しようと集まってきたガイド役の健常者とペアで2泊3日の間ひたすらクロス・カントリー・スキーを楽しむというもの。競技ではなく、レクリエーションとしてのクロス・カントリーというところがとても魅力的なのである。実はこの合宿への参加ははじめてではなかった。2年ぶり2回目の出場だった。

 休暇村に到着すると、すぐに今回ぼくのパートナーになっているOF先生が現れてくれて、早速昼食をとることとなった。大広間に移動してスパゲッティ・ミートソースを食べていると、斜め左向かい側に来た女性が気さくに声をかけてきてくれた。彼女はスタッフのTSさんだった。
 「SKさん、スタッフのTSです。それが例のレイバンですか?」
 いきなりぼくのサングラスの正体を言い当てたのだった。
 (これはただものではないな!)
 どんな話題で対抗しようかと頭を巡らせた挙げ句、ぼくは今の昼食の話題を持ち出してみた。切り返しに使う技がなかったからである。
 「いやあ、結構あるなあ。なかなか減らねえよ。」
 「そうですねえ。」
 「でも、こういうのを平気でたいらげちゃうやつっているんだよねえ。」
 ぼくの出した切り札はそんなありきたりな話題だった。
 部屋に入ると、冬はクロス・カントリー・スキーで、夏はマラソンでパラリンピックを目指す正真正銘バリバリのスポーツマンのSFさんがテーブルの前に座っていた。
 「SKです。よろしくお願いします。」
 「ああ、SFです。よろしくお願いします。SKさん、カステラ食べますか?」
 「いやあ、もう満腹です。ひょっとしてカステラ食べてるんですか?」
 「うん、あのスパゲッティじゃあ全然足りなくてねえ。YO先生のももらってカステラを2個食べてるんだよ。」
 「……」
 やはりいるところにはいるのである。超人的な食欲の持ち主というものは……。

 荷物を置き、スキー・スタイルに着替えて多目的ホールへ。部屋を出る時に、
 「忘れ物はないね?」
 と親切なSFさんに尋ねられたから、慌てて、
 「え? 何か必要なものあるんですか?」
 「いや、特にないですよ。ゼッケンさえ持ってれば ……」
 「ぜ、ゼッケン?」
 ぼくはその唯一必要なものを忘れていたのだった。
 このゼッケンには、「SFL-J 視覚障害者スキーヤー」と書かれていた。
 ホールに入るとちょうど2人の子供がこのゼッケンのことについて語り合っていた。
 「ねえねえ、スキーヤーってなあに?」
 「う〜ん、スキーをするヤー ……」
 (確かに ……)

 開会式が終わると早速スキーをかついで出発。これが軽い、実に軽い。片手で板とストックとを軽々と持ててしまうほどに軽かった。この軽さは経験済みのはずだったのだが、一昨日まで重い重いアルペン・スキーの用具をかつぎ、ロボットのような足音を立てながらがちがちのスキー靴で安比のゲレンデを歩いていたぼくにとっては、まさに夢のような軽さだった。
 宿舎から出てすぐのところに広がっているグラウンドはかなりの風で吹雪になっていたが、コースに入ると木々が防風林として働いてくれてそれほどではなくなった。
 久々と言うことでまた初日ということもあって、はじめは少し力をセーブしながらゆっくり歩き、時々OF先生にストックの突き方を教えてもらうということを繰り返していたのだが、なんとなくこのままでは不完全燃焼に終わってしまいそうな予感がして、
 (せっかくだから真っ白にならなきゃ!!)
 と突然ぼくはあしたのジョーになって本気を出すことに決めてしまった。
 直線コースに入ると元気よく前後開脚をしながらスイー、スイーと片足だけに乗って滑るようにがんばってみたのである。後方へ飛んでいく木々の音、風を切る頬の感覚、そしてランナーズ・ハイにも似た爽快感 ……。
 (か・い・か・ん!)
 まさしくこれは2年前にはじめて味わったクロス・カントリー・スキーの快感にほかならなかった。吹雪の中を滑っているというのに、全く寒さを感じなかった。それどころか汗びっしょりで、からだは熱く熱く燃えていた。
 OF先生は、
 「少しずつ右に曲がっています。」
 「ゆっくり下りながら左に曲がっています。まだ左ぃ、まだ左ぃ ……」
 と休むことなく常に高低差と方向の指示を出し続けてくれていた。これは申し訳ないような気もしていたし、それほど細かい指示は必要ないようにも思えたのだが、実はこれが非常に貴重な情報であることが分かった。
 「右に緩いカーブです。まだ右ぃ、まだ右ぃ ……」
 と言われていると、常に右のスキーの外側でレーンを感じるように注意を払い続けるので、カーブでもレーンを外れにくいのである。時折レーンを外れても、
 「SKさん、左に50cm」
 などという指示でなんとかレーンに復帰することができた。思えば2年前にはじめてクロス・カントリー・スキーに挑戦した時には、カーブの度にレーンをはずれて、「SKさん! 左10歩っ!!」などと言われていたのだから、それを思うとものすごい進歩である。
 そんな調子でガンガン滑っていると、1周目に60分かかった3kmコースが、2周目には40分で回れるようになっていた。
 「SKさん、1周目と2周目とで20分も縮まりましたよ!」
 OF先生の激励に、
 「ありがとうございます。それじゃあ、3周目は20分でしょうか?」
 「ようし! 明日は20分で回れるように今夜はばっちりワックス塗っときますよ!」
 「ひとこぎしただけで1周ぐるっと回れるようにですか?」
 そんな会話で今日のトレーニングは締めくくられた。

 5時からのスキーヤーのミーティングでは、
 「コースから1kmぐらい離れたところにパン屋さんがあるそうです。」
 という情報が公開された。これは多くのメンバーの興味をそそり、
 「スキーのままで行けるんですか?」
 「はい。大丈夫です。」
 「スキーのまま店に入れるんですか?」
 「それじゃあ、ドライブ・スルーだってっ!!」

 夜7時半からの恒例の他己紹介は大いに盛り上がった。中でもガイドのMKさんを紹介したTA君の話は格別だった。
 「レーンを外れた時なんかにはよく時計の文字盤を利用した表現で、『はい、トップを1時の方向に回してください。』とか『10時の方向に動かして!』とかって言いますけど、MKさんに言われて困ったのは、『TA君、トップを12時の方向に向けてっ!!』 ……」
 全員の他己紹介が終わるとそのままホールでフリー・タイム。そして10時以降は通称“飲み部屋”と名付けられたぼくの部屋で12時半まで懇親会。そしてそれから1時間にわたって鍼打ち大会が催されたのだった。

1月5日(水)

 翌日、午前9時に玄関を出てみると、外は願ってもない絶好のクロカン日和だった。天気は申し分のない大快晴。風はなく、空からは穏やかな陽射しが降り注ぐばかりで、どこへ行っても聞こえて来るのは、鳥のさえずりと川のせせらぎばかりだった。
 ぼくは朝から元気に5kmコース。3kmコースと枝分かれする地点にたどり着いてみると、5kmコースにはまだ誰1人足を踏み入れていないことが分かった。誰も通っていないレーンを滑るというのは実に気持ちのいいもので、さわやかな解放感に浸りながら快調に飛ばすことができた。ただ、このようなまっさらなレーンを滑ることには1つだけ大きな欠点があった。それは、レーンをはずれたり、はたまた転んだりしてしまうと、その犯人が100%ぼくであるとすべての人に分かってしまうことだった。
 今日の午前中は思いっきりネイチャー・スキーを楽しむことにしていたから、計画通りOF先生に動物の足跡や植物などをたくさん触れさせてもらった。
 「これがウサギの足跡だよ。後ろ足が縦長で、前足が横長になってるでしょう。」
 軍手をとってそっと雪面に触れてみると、確かにそうだった。そして後ろ足の跡は深く均一なのに、前足の跡は後方が浅く傾斜していることも観察できた。
 「こっちにも何かの足跡があるねえ。キツネかタヌキだと思うんだけど ……」
 それはウサギのそれとは違っていた。まるで立ち幅跳びのように、後足同士と前足同士とをそろえてピョンピョン跳んで歩いたような足跡が、結構な間隔を空けて残っていたのである。
 「あっ! 宿り木があるなあ。宿り木って知ってる?」
 「いえ ……」
 OF先生が手渡してくれたものは、赤い実を付けた木の枝だった。宿り木というのは、ほかの木の幹にくっついてその栄養を吸いながら生長する寄生植物。特定の木を選ぶという訳でもないというから節操がないのだが、別な表現をすれば好き嫌いがないということなのかも知れない。

 しばらくすると、
 「うわあ、ここの右側は一面新雪だよ。入ってみる?」
 「ハイッ! 入ってみます!!」
 コースを離れて新雪に入って行くと、スキーはやわらかく積もった雪の中に埋もれてしまい、もはや“滑る”という状況ではなくなった。もっつもっつと歩くしかない状況だったのである。
 「ここから100mぐらいは何もないですよ。」
 「ええ!? そうなんですかあ!!」
 それを聞いたぼくは、突然一生懸命に歩きたい気分に襲われた。
 もっつ、もっつ、もっつもっつもっつもっつもつもつもつもつ ……
 そしていつしかスキーをはいたままもも上げダッシュをしてしまっていた。
 バタバタバタバタバタバタバタバタ ……
 ハアハアハアハアハアハアハアハア ……
 陸上の100m走のタイム・トライアルでもしたかのように、心臓の鼓動がバクバクと高鳴った。背中を前後に揺り動かさなければ呼吸がしづらいほどに息が切れていた。全身の毛穴から汗が止めどもなく噴き出してきた。それなのに、心は不思議に気持ちの良い爽快感に包まれていた。いつも「何かにぶつかるんじゃないか」という恐怖心を完全には拭い去れずに運動しているぼくにとって、「ここから先には何もないから思いっきり走っていいよ!」という一言は何にも代え難い贈り物だった。そして今得られたこの不思議な感覚は、幼い頃に原っぱを駆け回っていた時に感じていたものにとてもよく似ていた。
 「もう1回走ってもいいですか?」
 ぼくはキックターンをして、もう一度、今度は最初からフルパワーでもも上げダッシュをしてみた。真っ白になりたい気分だった。何も考えられないくらいにへとへとになるまでエネルギーを使い切りたい気分だった。何にもない、何にもない、全く何にもない、ただ雪だけのある平原を見ていたら、なぜかそんな気分になってしまったのだった。

 この5kmコースには急カーブが3ヶ所ある。それらはいずれもなかなかの急角度でよほど注意していなければかなりの確率でレーンを外れてしまう。2つ目の右カーブにさしかかった時にも例によってレーンを外れて直進してしまったのだが、
 「危なかったねえ、SKさん。その先は小川だったよ。」
 「え ……」
 耳を澄ますと涼しげなせせらぎが聞こえていた。そしてぼくの背中にも何かスッと涼しげなものが流れたのだった。

 5kmコースを1周終えたところでぼくはOF先生にリクエストを出した。OF先生は非常に頻繁に、「何かやりたいことがあったら言ってくださいね。ぼくはSKさんのやりたいようにしますから。」と言ってくれていたからである。
 「OF先生、パン屋に行きたいんですけど ……」
 いくらやりたいことを言えと言われているからと言って、クロス・カントリー・スキー歴30年でしかも現在鳥取県スキー連盟のコーチもしているOF先生を捕まえて、“パン屋に行きたい”もないものである。しかし、ぼくはどうしてもパン屋に行かなければならなかった。そのパン屋がドライブ・スルーならぬスキー・スルーになっているかどうかを確認する使命があったし、それより何よりエネルギーを補給しなければならなかったからである。もはや電池切れだったのである。無謀なもも上げダッシュのおかげで。

 コースの途中には、「パン工房 ささき亭 手作りパン&コーヒー」と書かれた立て札が立っていた。昨日のミーティングでの話では1km程度ということだったから距離としては大したことがない。唯一の手がかりである最初の立て札の矢印を頼りに進んで行くと、やがてコースはなくなった。
 「あれえ? 本当にこっちでいいのかなあ。パン屋なんか見えて来ないぞぉ!」
 そんなOF先生の発言はぼくを非常に不安にさせた。そして、
 (よく昔話に出てくる「立て札の矢印を逆方向に変えて道に迷わせる」っていう古典的な罠にはまっちゃったんじゃないだろうなあ ……)
 などと余計なことまで考えてしまったのだった。
 道は、人通りが少ないために深雪で、しかもこぶだらけだった。そのため、短い急なこぶ坂を下ると必ず新雪に突っ込んでもつっと前のめりに急停止。何度も何度も慣性の法則を味わわされたのだった。
 また所々にタラの木がにょっきり生えていて、そのとげとげした枝がぼくに襲いかかろうと待ちかまえてもいた。パン屋への道のりは、文字通りの“茨の道”だったのである。
 次第に心細さが増してきてヘンゼルとグレーテルの気分になりかけたとき、
 「見えてきたよ!」
 ようやくぼくらは“お菓子の家”ならぬ“パン工房”にたどり着くことができたのだった。
 そこでゴマアンパンとコーヒーでしばしブレイク。十分にエネルギーを補給できたぼくは、元気いっぱいでコースに戻り、1kmコースを軽く滑って宿舎に帰還することができたのだった。ちなみにパン工房はスキーをはいたまま入れるどころか、靴も脱がなければならない場所だった。

 午前中は自然の世界とおとぎの国でレクリエーション・スキーを満喫できたから、午後は本格的なトレーニングに専念することにした。
 手始めに明日の申告タイム・レースに備えて3kmコースを1周してみると、28分44秒をマークすることができた。相変わらず好天気で、午後になるにしたがってレーンはますます滑り出し、申し分のないコンディション。それにしても1周回るごとに、60分、40分、29分と短縮されていくのは嬉しいものだった。
 「それじゃあ、ここを使ってちょっと滑り方の練習をしてみようか?」
 「ハイッ!! よろしくお願いします!!」
 コースに入る手前のグラウンドにはちょうど100mほどの直線コースがあり、そこはまさにフォームを教えてもらうのには絶好の場所だった。
 クロス・カントリー・スキーには、スケーティングの要領で逆ハの字にして滑るフリー走法と、左右のスキーを平行にしたままで滑るクラシカル走法またはダイアゴナル走法と呼ばれる滑り方がある。そしてぼくはそのうちのクラシカル走法を習うことになった。
 まずは立ったままでストックの振り方から。
 「ストックは後ろにポーンと突き放すようにして! 突いた後は腕とストックが一直線になるくらいに思い切って伸ばして!」
 「前に出した方の腕はそんなに高く上げないで、軽〜く、軽〜く!」
 「もっとリラックスしてぇ、膝の辺りを通してぇ、振り子のようにぃ!」
 ストックの振り方だけでなんと難しいことか ……。
 続いて脚の使い方。
 「前に出した脚にもっと重心をかけてぇ!」
 「膝が足首よりも前に出るくらいにぃ!」
 「はい、膝を柔らかくぅ、柔らかくぅ!」
 ひたすら100mの直線コースを行ったり来たりしていると、少しずつではあるがなんとなく雰囲気がつかめてきた。そう、前に出した脚に乗ってリズミカルにスイー、スイーと滑れるようになってきたのである。
 「おう? いい感じだねえ。“歩き”とは違うでしょう? それが“滑り”です!!」
 (そっかあ、俺は今まで歩いてたのかあ ……)
 教えられたような滑り方をすると、勢いよくスピード感あふれる滑りを見せることができた。しかし、それと同時に全身がものすごく疲れるということも分かった。せっかく覚えたばかりなのだから何とかこのフォームを習得するために練習したいという気持ちはあるのだが、ストックを後方に突き放す腕に力が入らない。足下がふらついてすぐにバランスを崩してしまう。三角筋が、大腿四頭筋が完璧に疲労してしまっているのである。
 渾身の力を込めて3kmコースを回ってみると、所々に出てくる直線コースでクラシカル走法の練習成果を披露することができた。もう完璧に疲労困憊で、ふらふらへとへと。いつもくだらないジョークを飛ばしながら滑っているぼくも、今日ばかりはさすがに寡黙になってしまっていた。
 ゴール地点で一休み。疲れてはいたが、直線コースでかなりスピードを出せたからその分時間は稼げたはずと、
 「何分かかりました?」
 「う〜ん、31分。」
 「……」
 (うへぇ、フォームの練習前より遅かったのぉ!?)
 “クロス・カントリー・スキーは体力だっ!!”を実感した瞬間だった。

 このまま終わりにしてしまうのはどうしても悔しかったから、最後の力を振り絞って1.5kmコースを1周して締めくくることにした。
 最後の急な坂道を下ってラスト・スパートに入ると、正面にはきれいな夕日。赤い太陽が少しずつその熱と光を弱めながらゆっくりと沈んでいくところだった。その中を無我夢中で滑っていくぼくは、まるで「さあ、みんなで夕日に向かって走ろう!!」と叫んでいる中村雅俊の青春ドラマの主人公のようだった。

 7時45分からはSFL-J恒例のゲーム大会。司会のKU君とMKさんの軽妙なトークで繰り出すゲームはどれもエキサイティングだった。
 そして最後のゲーム、「進化ジャンケン」の時間となった。これは、最初は全員が卵の状態で、勝てばひよこ、更に勝てば鶏、そして人間へと進化してジャンケンから解放されるというもの。しかし、ひよこはひよことしかジャンケンができず、勝った方は鶏になれるが、負けた方は卵に逆戻りしてしまうというから、進化はそれほどたやすいものではないのである。しかも、ジャンケンする相手がすぐに分かるように、卵は「タマゴッタマゴッタマゴッ」、ひよこは「ピヨピヨピヨピヨ」、鶏は「コケコケコケ」と言い続けていなければならないというから、肉体的にもなかなかハードそうなゲームだった。
 いよいよゲーム・スタート! ぼくはいちばん手近にいたTA君とジャンケンをしたのだが、いきなり負け。慌てて次なるジャンケンの相手の卵を探そうと辺りを見回すと、なんと周囲は、
 「ピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨ ……」
 とひよこばかり。卵を探すのにすっかり苦労してしまった。
 (どうして …… ?)
 でも、いつもはジャンケンにやたらと弱いぼくが、なぜか今日ばかりはその後3連勝で一気に人間に。舞台に上がると、IEさんが誘導してくれて高みの見物。2人で爆笑しながら徐々に減っていくジャンケン軍団の様子を眺めていることができた。
 残り7人になったところで一時停止。現在の状態の鳴き声と名前を自己紹介することになった。そこで、いったい誰が残っているのかと興味津々で聞いていると、
 「タマゴッタマゴッタマゴッタマゴッ、YKです。」
 「ピヨピヨピヨピヨ、SKです。」
 (なぬ? SK? 俺はここにいるのに!! 確か今の声は同室のSFさん ……)
 ぼくはスタッフでもないのに、こんなところで名前を使われてしまったのだった。

 ゲームの熱気もさめやらぬ間に突入した懇親会は否が応でも盛り上がり、ぼくは爆笑の渦にもみくちゃにされて、すっかりのどが苦しくなってしまった。
 部屋に持ち越された2次会は最後の夜ということもあってエンドレス。お開きになったのは午前3時のことだった。
 「すみません。YO先生。窓開けてもいいですか?」
 裏磐梯の深夜というのにぼくの部屋だけは猛烈な熱気でとても寝つけそうになかったからである。しかし、もちろんそれは取り越し苦労で、ぼくは布団に入るや否や瞬間的に眠りに落ちてしまったのだった。

1月6日(木)

 「ピロピロピロピロ、ピロピロピロピロ ……」
 そんな音が夢うつつの中で聞こえてきた。気がつくと同室のSFさんが何やら緊張した面もちで相づちを打っている。
 「今、何時ですかあ …… ?」
 まだはっきりとは目覚めていないからだを寝返りさせながら尋ねてみると、
 「7時55分 ……」
 (ふ〜ん、7時55分かあ ……。ん? 7時55分!?)
 今朝の朝食は7時半から。しかも夕べの事務連絡でプレジデントのTA君に、
 「明日は日程の確認などの連絡もありますから、7時半の朝食には必ず遅れないようにしてください。」
 と念まで押されていた。覚醒したぼくはスタッフのTSさんのモーニング・コールに報いるべく、大慌てで朝食へと飛んでいき、朝のメニューを一気に胃の中へとかき込んだのだった。
 同室のYO先生はというと、ぼくよりもさらに10分ぐらい遅れて食事に現れたのだが、
 「いやあ、最後に飯に行くのはいいもんだなあ。シシャモを12匹も食っちゃったよ!」
 と6人前のシシャモをたいらげて満足そうな笑顔。
 (な、何考えてんだ? この人は?)

 ようやく脳と体が目覚め初めてくると、全身がものすごい筋肉痛に見舞われていることに気がついた。大腿四頭筋と三角筋がバキバキになっていたのである。
 (これって昨日のOF先生とのトレーニングのおかげ? それとも、あのもも上げダッシュのせい?)

 9時過ぎに軽く1.5kmコースを回って足慣らしをしながら、コースの状態を確認してみると、レーンはシャーベット状に解けていて、昨日と比較すると全く滑りが悪くなっていることが分かった。
 (まずいなあ ……。)
 昨日のあの絶好のレーン・コンディションでマークした3kmの最高タイムが28分44秒。そして今日のタイム・レースの申告タイムは29分50秒にしてあった。この滑りの悪いコースで29分50秒をマークするためには、相当気合いを入れなければならない。
 (うぐ ……、この筋肉痛バキバキ状態で、しかも昨日作った左内くるぶし後方のマメがつぶれてひどく痛んでいる状況で、果たしてどれだけのがんばりが効くものだろうか?)
 そしてレースは始まった。
 最初の直線は昨日の午後に特訓を受けたお馴染みのコース。スタート地点で順番を待っている他のメンバーに練習の成果を披露するために華麗なフォームで滑り出す。右手と右脚が同時に前に出たりしないことだけに注意して。
 予想はしていたが、滑りは確かに悪かった。前の膝に重心を乗せてストックを強く後方に突き放ってみても、ジュリジュリッという音を立てるばかりでスキーは思うように滑ってはくれなかった。最初の緩い下り坂に入るとガイドのOF先生からのアドバイス。
 「ここは押して行こう! 押してぇ、押してぇ、もっと押してぇ! もっとがんばらないと29分じゃあ滑れないよ!」
 この時ぼくは、これからの30分間、矢吹ジョーになりきることを決心した。ペース配分やスタミナ温存などということはいっさい考えず、最初から全力で飛ばしに飛ばし真っ白になることを決意したのである。
 その甲斐あって緩い坂を2つ下った時には、ぼくの心臓は景気良く高鳴り、息も元気よく弾みだしていた。
 平地になると、
 「はい、ここからはしばらく平地だから昨日の練習を思い出してぇ!」
 下りになると、
 「はい、押してぇ、押してぇ、もっと押してぇ!」
 軽い上りになると、
 「このぐらいなら滑れるよ! ストックを思い切って突き放してぇ!」
 ひそかに手を抜けるのは、急な上り坂の時だけだった。しかし、急な上りで手を抜くというのもできそうでできない芸当で、結局ぼくは最初から最後までレーンからはみ出さない程度の全力疾走をしてしまったのだった。
 難関の急坂も無事に下り、いよいよ最後のラスト・スパート。ゴール直前の直線に入った時、
 「さあ、間もなくゴールだからかっこいいフォームでキメよう!」
 そう、ゴールにはスタッフがぼくらの帰りを待っているのである。
 (おっしゃあっ!! 最後はビシッとキメるぜっ!!)
 思わずストックを持つ手に力が入る。その瞬間、
 「ありゃ?」
 ゴールの手前20mのところでぼくはまんまとレーンを外れてよろよろしてしまったのだった。
 (うへ、思いっきりかっこ悪い ……)
 ゴール・インすると、もうからだはすっかりへろへろになっていた。ぼくは最終日の午前中、この1本で完全燃焼してしまい、後はさっさとスキーを脱いで宿舎でくつろいでしまったのだった。

 1時からの閉会式では、今日の申告タイム・レースの成績発表があった。そして優勝は …… なんとぼくだった。これは本当に意外な結果だった。滑っている間は、あまりにもスキーが滑らないから当然タイムは申告よりもずっと遅いものと感じていた。ところがゴールした後で時刻を確認してみると、今度はどうも早すぎたようだった。だからまさか自分が第1位に輝けるとは思ってもみなかったのである。
 プレジデントのTA君から優勝の賞状と「第5回 SFL-J 総合優勝」と刻まれた立派なトロフィーを手渡されたとき、後頭部と頬にゾクゾクする感動が走った。本当に感激だった。
 ぼくはこれまでいろいろなスポーツにチャレンジしてきたし、学生時代にも多くの陸上大会に出場してきたが、今だかつて優勝したことは一度もなかった。だからここへきて「総合優勝」などと書かれたクロス・カントリーのトロフィーを手にすることができたのは、夢のような感激だった。
 (嬉しい! 嬉しい! 本当に嬉しいっ!! なんて幸せなんだろう ……。でも、“総合”っていったいなんだ? まさか ……)
 ぼくはこの3日間に放ったギャグの記憶を引きずり出しながら頬を赤らめてしまうのだった。
 (まさかね ……)


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