第2回 スキー・フォー・ライト ジャパン

参加者の感想


last modified: 2004.3.1
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第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンに参加して

長瀬 修 (ガイド・社会人)

●3回おいしい

私は障害に関心があるが、最近は言語・文化集団としてのろう者を意識することが多く、そればかりでもどうかという気持ちがあった。

そこでスキー・フォー・ライト ジャパンの話を聞いた時、「面白そう」と思った。幸い、クロスカントリーは国連事務局勤務時代のオーストリアで半日だけだが経験がある。細いスキーでバランスに苦労したが、何とか動けたのを覚えている。しかも、視覚障害者と接する機会はこれまであまりなかった。国連事務局に視覚障害の同僚がいて、廊下を盲導犬と歩くのや、パソコンを駆使するのを見ていた位である。

実際に参加してみて、非常に楽しかった。早い話が同じコースを走っても「3回おいしい」のである。まず、自分だけで走る。次にガイドトレーニングとして、目隠しして走る。そして、スキーヤーと一緒に私がガイドして走る。一つのコースを3つの異なる状態で走る。それぞれに違う楽しさがある。

●ボランティア?

「スキーヤーとガイドはボランティアをする、されるという関係ではない」という説明が主催者からあった。ボランティアする、される、という関係が権力関係、上下関係を生み出す場合も確かにある。それを避けよう、スキーヤーとボランティアの対等な関係を築こう、そういう意識から「ボランティアではない」という言葉が出てきているのは分かる。ガイド側が「してあげている」、スキーヤー側が「してもらって当然」という気持ちにならないようにという意図である。

しかし、私はボランティアをもっと魅力的で、豊かな概念として考えている。ある場面で助ける、助けられることにより<関係>が生まれる。その<関係>を生み出す出発点として、ボランティアは貴重だと思っている。そして、ボランティアを介して生まれる<関係>の中で、「する側、される側」という位置づけもまた逆転することがある。多分、最も大事なのは、この位置づけが固定化しないことだろう。

大学時代の「わかたけサークル」という障害児を対象にしたボランティア活動、3年間の青年海外協力隊のケニアでの活動の経験を通じて学んだのは、ボランティアから生まれた<関係>の中で、ボランティアする側、される側の垣根がなくなることである。

●視覚情報から音声情報へ

ガイドすることは、<視覚情報を音声情報に通訳・翻訳する作業>である。必要な情報を過不足なく通訳・翻訳することがガイドには求められている。しかし、通訳・翻訳の作業には常に取捨選択がついて回る。コースに関すること以外、例えば景色についてどの程度話すかはガイドの裁量となる。もちろん、スキーヤーの希望を勘案してだが。

私は日英の通訳・翻訳をするが、ガイドはまた別の形の通訳・翻訳者だと感じた。

●文化としての障害

障害への視点として、「文化」、(非障害から見た際の)「異文化」が大切だと思っている。生活・行動様式や価値観という意味での「文化」である。

例えば、点字の書類を読むのには、横になるのが楽だということを初めて知った。これも、盲人の文化の一部である。これを墨字の書類を読む晴眼者のものさしで、だらしないと決めつけられない。

そんな話をあるスキーヤーにしたところ、「私は盲人らしさをなくそうと努力してきたが、盲人らしくてかまわないということ?」という反応を得た。私はかまわないと思う。視覚障害が自らの一部であり、それが恥ずかしいことではないのだから。

●歩け、歩け

筑波大の大学院で障害関係を研究されている青柳さんというパートナーにも恵まれ、あっという間の4日間だった。次回もぜひ、参加できればと思う。

ただし、今回は参加した後、しばらくは足が痛かった。その反省で、もっと足腰を鍛えた上で参加したい。

主催者、他の参加者のみなさん、支援団体に心から感謝します。

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スキー・フォー・ライト ジャパンに参加して

青柳 まゆみ (スキーヤー・大学院生)

テレビの映像や写真などを通して間接的に知るということが難しい視覚障害者にとって、「実際にやってみる」ことは何よりも確かな情報源であると言えます。「そもそもクロスカントリーってなに? どんな道具を使って、どんな風に滑る(歩く)の?」この疑問を解決するためにはとにかく自分でやってみるしかないと思い、私は、第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンに参加することを決めました。そして、期待通りクロスカントリーというスポーツを知り、しかも心から楽しいと感じ、「次もまた参加しよう」という気持ちを残して帰ってくることができました。

初めのうちは、なかなか感覚がつかめずに悪戦苦闘したり、初対面のパートナーとの会話に戸惑ったりしました。でも、だんだん慣れていくうちに、お互いのことを紹介し合いながらのんびりとコースを回り、冷たい風を心地よいと感じるようになりました。申告タイムレースでは私のせっかちな性格が災いし、申告タイムにより近いタイムでゴールすることなど忘れてかなりむきになって前へ前へと進みました。

「視覚障害者は目が見えないだけで、それ以外は健常者と何も変わらない」とよく言われます。実際その通りなのですが、でも私たちの日頃の生活を考えてみると、やはり健常者とは少し違った部分もあると思います。つまり、私たち視覚障害者は、健常者とは異なる文化をもっているのです。「外国の文化や習慣が知りたい」「本場の人が作る外国料理を食べてみたい」などという素朴な気持ちから留学生との交流会やパーティーに参加してみるのと同じように、一人でも多くの人が「視覚障害者のことを知りたい」という自然な気持ちで私たちと関わりをもってくれたらいいなあと日頃から考えていました。そして今回この企画に参加してみて、ガイドの人とスキーヤーがとても仲良くお互いに自己主張し合いながら時間を共有しているという印象を受け、とても感激しました。

この会を企画・運営してくださったリーダーはじめスタッフの方々、3日間的確なコース説明をしながら私の気まぐれとわがままにつきあってくださったガイドの方、そしてたくさんの新しい出会いに、今心から感謝しています。

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あこがれの雪とスキー

吉松 政春 (スキーヤー・教員)

九州にいるとスキーというのは一つのあこがれです。私の住む北九州市でも年に一度大雪が降ります。午前中は雪のため交通がマヒし、生活がとまってしまいます。しかし、それも年にわずか1日だけのことです。そんな私にとって、雪とスキーはなかなかめぐりあうことのできない体験です。まして視覚に障害のある私にとっては簡単にスキーにゆくことはできません。以前に健常者の友人とアルペンスキーをやった時も、どちらも視覚障害者とスキーをするテクニックをまったく知らないため、難業苦業の連続でした。

一昨年、スキー・フォー・ライト ジャパンのことをパソコン通信で知りました。ボランティアの力をかりて視覚障害者がスキーを楽しむことができる。クロスカントリースキーのことは何も知りませんでしたが、これなら九州育ちの視覚障害者の私でもできるかもしれないと感じました。でもなかなか参加する決心がつかず、重い腰をあげるまでに1年かかりました。

事前の連絡の時、主催者の青松さんに電話でクロスカントリースキーのことを簡単に説明してもらいました。雪の上に溝が掘ってありその中を滑るのだとのこと。まったく想像がつきません。いざ本番になるとなるほどこれがクロスカントリースキーというものかと感動するばかりです。「私達視覚障害者でも、さほどのハンディがなく滑ることができるじゃないか!」。私は外で体をうごかすことが大好きです。マラソンや水泳はよくやります。全盲の伴走をしてくれるランナーも結構います。健常者と一緒に登山をしたり、タンデムによるサイクリングや、海外旅行にも出かけます。でもスキーはなかなか機会がありません。雪とはあまり縁がない九州の視覚障害者の運命だろうとあきらめていました。でもこのスキー・フォー・ライトと出会うことができて私にとってもスキーは単なる遠いあこがれではないということがわかりました。雪にまみれてころがったり、直線コースを全速力で滑ったり、気持ちのいい汗をかくことができました。

そして、もう一つ忘れることのできないものがあります。それは沢山の人達との出会いです。さまざまな職業の人達、高校生や大学生。これまであまり視覚障害者と接したことがないというボランティアの人もいました。若い人から年配の人までさまざまです。宿舎での夜は、また昼間とは違った楽しさがありました。いろんな人といろんな話をし、また一つ財産が増えたような気がします。新潟市のコスモクラブの話を聞き、私の住む地域でもこんなグループがつくれたらなと強く感じさせられました。

あこがれの雪とスキーをおもいっきり楽しむことができ、沢山の人達と知り合いになれたこと。すべてがいいことづくめの数日間でした。来年もぜひ参加したいと考えています。かえってきて周囲のみんなにスキー・フォー・ライトのことを宣伝してまわっています。来年もきっと九州からの参加者がいるはずです。

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SFL-Jに参加して

須藤 京子 (ガイド・大学生)

SFL-Jを初めて知ったのは大学の掲示板でガイド募集のお知らせを見た時だった。高校時代から登山や野原を歩くことが好きでクロスカントリーに興味があったことが参加を考えるきっかけになったと思う。私は全然福祉に詳しいわけではなく、視覚障害者の人と接する機会も持ったことがなかった。それでも自分の趣味を通してなら普通に交流ができそうに思えたし、お知らせの中の「あなたは“ボランティア"ではありません。障害者と対等の一個人として参加します」という部分に後押しされるようにして申し込んだ。

一方、知らない場所に乗り込んでゆく不安はあり、行きの電車ではSFL-Jの資料を複雑な心境で読んでいたように思う。しかし実際に裏磐梯に集まった、個性的でいろいろな背景をもつスキーヤー、ガイドの方々、SFL-Jを支えている企画力豊かなスタッフの方々のおかげで不安のほうは吹き飛んでしまった。他の参加者である社会人や学生の方々との話は時にとても刺激的であり、視覚障害者の方と打ち解けて数日を過ごすうちに自分や社会には何が足りないのだろう、ということを漠然と考えるようになった。これは今後の課題でもある。

大自然の中でのクロスカントリースキーはとても気持ちがよく、パートナーの大村さんといろいろな話をしながら滑り、また何度も転んだ。私のガイドの至らなさのせいか2人で川に突っ込みそうになったり、コースの最後の急な坂の上手な登り方、下り方に苦労したりといろいろあったが本当に楽しめた。そして最終日の申告タイムレースでは降りしきる雪の中においてもマイペースを守り抜いたことが良かったのか、意外にも優勝してしまった。盛大な表彰式は嬉しい思い出である。運動好きの大村さんの、「私達は伴走者が必要であったりする為にそう積極的に運動しなくなってしまう傾向があるが、今回は本当に楽しかった」という感想を聞いて、私も来て良かったと思うと同時に、普段の生活の中でも自然に一緒に運動できるような環境をつくりだす必要性を感じた。

思い返してみて初めて、何も知らない私でも参加者として認めそのプログラムに巻き込んでしまうSFL-Jの凄さが漸く分かってきた。その影で膨大な量の資料の作製、事務、様々な企画を手がけていたスタッフの方々の努力は計り知れない。その青松さん、丸田さんをはじめとするスタッフの方々、そして他の全ての参加者の方々のおかげで私は充実した4日間が過ごせたのだと思う。皆さん、ありがとうございました。

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スキー・フォー・ライトに参加して

大村 結香 (スキーヤー・高校生)

私は、以前一度だけアルペンスキーを経験し、その楽しさと単独で滑ることのおそろしさが忘れられませんでした。それで、もういちどスキーが、しかもガイドつきでできると聞いてこの企画に飛びついたのです。

そして当日。スキーがなかなか思うように動かず、このままでは、どんな3日間になるのだろうと思うと不安になってきました。けれど、ぐるぐるとコースを回っているうちになんとか滑れるようになりました。パートナーの須藤さんが持ってきていたみかんを雪の中に埋めておいたのを、休憩のときに食べてとてもおいしかったのが心に残っています(色気より食い気なのでしょうか…)。

最後のタイムトライアルでは、道を間違えたにも関わらず、優勝でき、トロフィーまでいただけて本当によい思い出ができました。

また、存分に体を動かすことはこんなにも気持ちのいいものなのかということを思い出させてくれたように感じます。これからはもっと運動しようと決心したような気がしますが記憶の彼方です。

それから、いつ、どこで、どなたがおっしゃったのか憶えていないのですが、「視覚障害者はとかく健常者との差異をなくそうとしているが、世の中みんな同じような人だったら面白くない。もっと自分たちらしさを活かしてもいいんじゃないか」というようなお話を聞いたことです。これは、全く初めて知った考えであり、目から鱗が落ちたような気がしました。「盲人らしさ」といわれるものは確かにあると思います。けれど、その中にも長所と短所があることにいままで気付きませんでした。よい経験になったと思います。

また、いつか参加していろいろな人達といい出会いをたくさんしたいと思います。

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ありがとう

第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンに参加して

浜田 陽子 (ガイド・教員)

"ありがとう" たった5文字のことばですが、本当にすばらしいことばであると実感しています。人と人の、心と心がつながりあえたとき、はじめて、自然に出てくることばが、この"ありがとう"だったのです。私は、第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンに参加し、このことばの意味を実感しました。

日本視覚障害者柔道連盟・副会長の伊藤忠一先生から、このスキー・フォー・ライト ジャパンを紹介して頂きました。「是非、参加してみて下さい。きっと、すばらしい何かがあるはずです」と・・・。すばらしい何か・・・って何だろう? と思うがままに、第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンへの参加を決めました。初めてクロスカントリー・スキーをすること、初めて視覚障害者の方と接することへの不安よりも、すばらしい何か・・という言葉への期待は大きく、また、この言葉は私を魅了しました。

私の期待したとおり、1997年1月4日〜7日までの4日間は'すばらしいこと'でいっぱいでした。

'すばらしい何か'は、自分から見つけに行かなければなりません。'すばらしい何か'が見つかった時、そこにはきっと"ありがとう"ということばがあるはずです。"ありがとう"・・・本当に素晴らしいことばだと実感しています。

  

  ありがとう のことばとともに

  心のとびら ひらいてごらん

  

  ありがとう のことばのなかに

  あなたの心が みえてくる

  

  If I can do this

  I can do anything

  

  

  ありがとう のことばとともに

  勇気をだして やってごらん

  

  ありがとう のことばのなかに

  あなたの笑顔が みえてくる

  

  If I can do this

  I can do anything

  

  

  ありがとう のことばとともに

  みんなの手と手 つないでごらん

  

  ありがとう のことばのなかに

  心の絆が みえてくる

  

  If I can do this

  I can do anything

  

最後になりましたが、第2回 スキー・フォー・ライト ジャパンの開催に当たりご尽力いただいた関係者の方々に心から御礼を申し上げるとともに、スキー・フォー・ライト ジャパンのますますの発展を心からお祈り致します。

あ り が と う

来年の冬、会津の地でまた輝く笑顔に逢えることを祈りながら・・・

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